私たちの生活に欠かせないうつわですが、一体いつから使われ始めたのでしょうか?日本の焼き物の歴史は古く、約1万年前の縄文時代にまで遡ります。土器が作られるようになってからも、中国や朝鮮半島から新しい技術を取り入れながら器は常に様相を変えてきました。そして茶の湯や生花などの日本独自の文化、風土とともに大きく発展してきました。縄文土器から現在の姿になるまでにどのようなプロセスがあったのか?焼き物の成り立ちを時代ごとにまとめていきます。
焼き物の成り立ち 紀元前約1万年〜794年
縄文土器(紀元前約1万年から紀元前300年頃)
最古の焼き物は縄文土器とされ、その起源は1万5000年ほど前に遡ります。縄文土器の特徴は名前の通り、装飾の縄目紋様。植物繊維で作った縄を土器の表面に押し付けて紋様を施していました。この「縄文」は時代の名前になるほど象徴的な当時の文化だったと言われています。
縄文土器は、窯を使わず700〜800度の低温で野焼きしていました。吸水性が高く脆いうつわではあったものの、食べ物や水を貯蔵したり煮炊きしたりするのに役立ち、人々に安定した食生活をもたらしました。
縄文土器による6つの歴史区分
約1万年と長い歴史のある縄文時代。出土した縄文土器の特徴などから6つの時代に分けられます。
- 草創期 約13000年前(平底深鉢土器・丸底深鉢土器)
- 早期 約7000年前(尖底深鉢土器)
- 前期 約5000年前(平底深鉢土器・丸底深鉢土器)
- 中期 約4000年前(火焔土器)
- 後期 約3000年前(注口土器・精製土器)
- 晩期 約2000年前(亀ヶ岡式土器)
弥生土器・土師器(紀元前200年〜紀元後300年頃)
稲作技術の伝来とともに弥生土器が誕生しました。西日本から広まり、紀元前300年ごろまでに北海道を除く全国で使われるようになっていきます。弥生土器は赤み帯びた色合いで装飾は見られません。縄文土器より丈夫なため、薄手で簡素なつくりとなっています。貯蔵用の壺、煮炊き用の甕、食器としての鉢、高坏といった日常において実用性の高い器が数多く作られました。
弥生土器の流れを受け、4世紀ごろ古墳時代初期には似た様式である紋様のない、素焼きの土師器(はじき)が作られるようになりました。弥生土器や土師器は、縄文時代の土器と製造方法や様式が異なっており、大陸から技術を伝えた渡来人の影響がうかがい知れます。
須恵器(紀元後400〜794年頃)
古墳時代には須恵器が作られるようになりました。当時、倭国を統一した大和政権は朝鮮半島と積極的な交流をもち、先進技術や鉄などの資源を獲得していました。製陶技術もその一つで、5世紀中頃に陶部(すえつくりべ)と呼ばれた技術者集団が渡来します。
轆轤(ろくろ)を用いて成型し、穴窯という地下式の登り窯を使用するようになったのも日本では須恵器がはじまりでした。還元炎焼成と呼ばれる酸素が少ない状態で焼き締めると、堅く青灰色をした器になります。また古墳の副葬品として、装飾された壺や横瓶など独自の形も生まれました。やがて仏教の影響を受け、水瓶や浄瓶などの祭祀用具、生活用具も焼かれるようになっていきます。須恵器は大阪南部の陶邑を中心に焼成が始まり、奈良時代にかけて全国的に広がっていきました。
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